2008年に公開された「トーマス・ジェーン」が主役を務める映画「ミスト」
映画を見た人の大半が後味の悪さを感じるこの映画。
私も息子がいるので後味最悪でした。
デヴィッドがスーパーを出た判断は正しかったのか?
カーモディの言うようにスーパーに残っていたら助かっていた?
ノートンを仲間にできればもっとうまく立ち回っていただろうか?
この映画の中には様々なタイプのリーダーが登場し決断、行動します。
さて、その行動は正しかったのか?
また、誰について行けば一番良かったのか?
この記事では映画ミストで登場する主人公デヴィッドを含めリーダー格の判断と行動について書いていきたいと思います。
また、映画ミストを通じてスティーブン・キングやフランク・ダラボンが伝えたかったことなども考察しています。
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目次
【結論】自分の手綱は自分が握れ!
結論だけ先に書くと「誰かの判断に従っているだけではダメ」と言う事です。
もし、自分が同じ状況におかれたら人の判断で命を落としたくはありません。
自分で考えて行動し、自分の判断で命を落としたいと私は考えます。
そして、自分の責任は自分でとりたい。
この映画の中で唯一、自分の行動に責任を取ったのは主人公であるデヴィッドでした。
胸糞なラストではありますが、その点から考えるとこのラストもしっくりきますね。
ミストと言う映画はクリーチャーの恐怖を存分に与えるホラー映画ではなく、スーパーというある程度の命を保証された空間でおこる様々な人間模様を描いたヒューマンドラマです。
この映画が一番伝えたいのは
先の事なんて誰にも分からない霧がかかったような人生なんだし、人に判断を仰ぐのではなく後悔してもいいから自分で決断しよう |
って事なんじゃないかと私は感じました。
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主人公デヴィッドの行動は正しかったのか?
主人公であるデヴィッドの行動が正しかったのか?
この段落ではデヴィッドの行動について書いていきます。
デヴィッドの決断と行動は以下。
- 窓を修理せず買い物に行った
- ノートン(隣人の弁護士)の説得
- 隣の薬局に行った
- スーパーを出た
- ラストのシーン
大きな決断としてはこのくらいではないかと思われます。
窓を修理せず買い物に行った
スーパー内での事を考えると家を絞めきっていれば妻は助かっていた可能性が高い。
デヴィッドが間に合わせでもいいので先に窓を修理していればよかったのに・・・
確かに、その通りでしょう。
ただ、現実的に考えて大木を動かすのは難しい。
アメリカなのでその辺に重機が転がってそうですが・・・
個人的な考え方としては「うわーめんどくせー、とりあえず買い出しはすぐできるしそっちからやるか―」と考えるでしょうね。
窓を修理しなかったから妻を亡くしたというのは結果論であってあの時点では誰も想像すらできません。
デヴィッドの判断が間違っていると責める事でできないでしょう。
ノートンの説得
デヴィッドはモンスターの存在をデヴィッドに知らせて弁護士で口も上手いノートンに皆のまとめ役をしてもらおうとしていました。
ただ、デヴィッドの説明が下手だったのかノートンは意固地になってしまいます。
こうなっては誰が言っても修復するのは不可能。
まぁ「ちょっと見に行くだけじゃん」と思ってしまうのは置いておいて・・・
ノートンが偏った考え方をしてしまうのは接していた住民にも問題があったのでしょうね。
デヴィッドとも裁判沙汰になった的な事も言っていたので、それもどこかで引っかかっているのでしょう。
どうすればノートンは味方になってくれていたのか?
何も言わず地下室に連れていき触手を見せればあるいは・・・?
ノートンとの背景があるにもかかわらず安易に説得に行ったデヴィッドの判断は今考えると少し間違っていたかも知れませんね。
隣の薬局に行った
火傷を負って瀕死のジョーの為に隣にある薬局に薬を取りに行ったデヴィッド。
薬局の距離は分かりませんが、ノートンがスーパーを出た時に60メートル以内にはモンスターがいない事を実証できたことから薬局への移動を判断します。
ただ、移動型のモンスター見ているはずなので距離に対して信用するのはどうかと思いますが・・・
ともあれ、この時のデヴィッドの行動は正しかったのか?
コレは「間違い」でしょう。
状況からして助かったとしてもジョーは足手まといになるでしょう。
いつ自分がモンスターに襲われてもおかしくない極限状態で息子もいるのに赤の他人の為に命をかける意味が分かりかねます。
デヴィッドがスーパーマンかキャプテンアメリカなら話は別ですがただの画家。
息子を守る事だけに集中するべきでしょう。
スーパーを出た
スーパーの中には食料もありモンスターもまだ入ってきていません。
「待っていれば誰かが助けに来てくれる」
結果的にはスーパーに残っていれば助かっていた可能性は高そうですが、あの状況での判断としては間違っているとは思えません。
まず、カーモディの存在。
カーモディは自分の考えを否定する人間を目の敵にしていた事もあり、デヴィッドが言っていた「息子が生贄にされかねない」もあながち間違っていません。
現に、目の敵にしていた女性教師「アマンダ」もろとも息子を拘束しようとしていました。
出ていく事を告げなくても遅かれ早かれ息子はカーモディの餌食になっていたでしょうね。
確かにその通りでしょう。
カーモディ派は人数が多いがハリーは銃を持っていますし、その気になれば守れたことは確か。
ただ、それは結果論であってあの時に軍が助けに来る確証はありません。
電話もつながらない、異常なモンスターはウヨウヨの状況でスーパーから出ないという選択肢を選ぶ事は難しかったのではないかと思います。
ガソリンが尽きるまで走るっている計画はどうかと思いますが・・・
ともあれスーパーを出る決断自体は状況判断としては間違っていないと私は感じます。
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ラストの結末
本当に鬱展開だったラスト。
どうにかしてガソリン補給しろよ!!!!
なんでこのタイミングで息子起きるんだよ・・・・
撃つの早過ぎじゃね・・・?
て言うか、撃つ直前に軍がきてハッピーエンドでも良かったのでは・・?
正直、ガソリン補給は謎でしかない。
銃もあるし薬局に行った事を考えると難易度低そうに感じますよね?
そもそもあの時、銃を無理にとっていなければ助かっていたはず!
ただ、デヴィッドには息子との約束があったので焦っていたのでしょう。
外には歩くだけで地面を揺らす巨大なモンスター。
食糧もガソリンもない車内には女性と高齢者でまともに動けるのは自分だけ。
こんな極限状態に晒されて他人を貶めず責任を全うしようとしたデヴィッドを私は誉めたい。
まぁ、鬱展開の胸糞はどうしようもありませんが・・・
ミストはバッドエンドでなくてはならない?
色々言いたい事は山ほどあるのですが、あの映画はバッドエンドが正解なのかもしれません。
人間ってなんていうか、最終的には何とかなる的な考え方をもっていると感じます。(私も同じ)
この映画では幻想はそのことごとく打ち破られ最後には後味の悪さが残ります。
ただ、後味の悪さが残るからこそミストが印象に残りストーリーを思い返す事も多くなります。
主人公やその他面々の決断と行動を考え自分なら・・・とシュミレーションしたりもします。
なにが言いたいかというと、この考えるという事が監督「フランク・ダラボン」と「スティーブン・キング」をはじめとするミストの製作者の意図ではないかと感じます。
作中に登場する霧やモンスターは人生においての「未来」みたいなもの。
不安だけど行動しないと変わる事は出来ない。
失敗して取り返しのつかない事になるのも人生。
だから、一つ一つの決断と行動が大切なんだと深く考えさせられる映画でした。
胸糞映画の最高傑作という表現もおかしいですが、まさにピッタリな表現でしょう。
最高に面白くて最高に胸糞。
もう一度見たいかって?
2度と見る事はないでしょうが人には勧めたいですね。
多分、この言葉がこの映画を観終わった後に一番ふさわしい言葉ではないかと思われます。
それでは最後まで読んで頂きありがとうございました。
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